本当に癒されるということ
2021/09/30 JUNKO
『癒される』『癒し』ってどういうことだろう?
つい最近まで、私は『癒し』の本当の意味を知らなかったのだと思う。
美味しいもの食べて癒された~
話聞いてもらって癒された~
可愛い動物に癒される~
海で、山で遊んで癒された
それも確かに何かではある。でも本当に癒されることを知ると、それらは表面上のお手当てにすぎず、むしろ『労い』、とか『補い』という言葉の方がしっくりくる。
それでもそれで気が済んで、また元気になってやっていって、そしてまた嫌なことがあって、補って、そしてまた元気になる、、、その繰り返しに『もう嫌だ!おんなじことの繰り返しだ!』心底そう思うまでは、それでいいのだと思う。
でも私はその繰り返しや平穏だったり辛かったりが起こることに疑問があったし、もう本当に嫌だと感じていた。もう補いきれないのだ。
本当にそれしか方法はないのだろうか?
『答えは自分の中にしかない。』
よく聞く言葉ではあるけれど、言葉通り、癒しは外側にあるものではなく、自分自身の中にしかない。
目の前で繰り広げられる世界は、ただあるだけで、どんなに辛いことも、悲惨なことも、大きい小さいもなく、それは常にあるだけで、それを見た人それぞれがそれぞれの心を通して感じたり、感じなかったりするだけなのだと思う。
だから、心がざわつけば、なぜざわつくのかを自分の中に探すだけ。そうして、ざわついた自分の忘れていた感情を見つけて、『それは嫌だったよね、よく頑張っていたよね』そうやって自分が自分をわかってあげると、なぜだかほっとする。そして私が本当にそのことに納得した時、スッーっと痛みが消えていく。
そうやって、頑なに拘っていた気持ちを一つ一つをほぐしていくと、目の前の出来事は本当は何も起きていなかった、ということがわかるようになる。
何も問題ではなかったし、そこにただあっただけだということがわかる。問題にしていたのは他でもない、自分自身の心だったということだ。目の前の人でもないし、事柄でもないのだ。
それがわかってくると、どんなことが起きても(毎日、毎瞬間、起こることは起こるのだ)ただただ目の前の出来事を、事実だけを見て、引っかかったところを丁寧に見ていく。そして解消する。それだけしかやることはないのだ。解消が進めば進むほど、どんどんクリアになるから、すぐに見つめるところがわかるし、解消が早くなる。それは文字通り消えていくのだから、今度は引っかかるものがなくなってくる。心が平安である時間が増える。周りの物事に動じなくなる。どんな出来事に対してもやることは同じだというシンプルさ。
他に何がいるだろう?
特別な知識もテクニックも必要ない。
自分が自分を癒すこと。誰にでも備わっている、神様が授けた力。
今の所、私はこの生き方を知って、今本当に幸せだし、想像すらしていなかったような幸せな状態が続いている。毎瞬間が奇跡。
出来事が起こるのは神の采配だと思う。出来事が未消化な感情を呼び覚まし、癒しの機会を与えてくれるのだから。
だからこの世に存在する全てには感謝しかない。
本当の癒しとは、実はちょっと、いやもしかしたらすごく痛いものだ。
痛かったことを振り返るのは痛いし、人がそれをもう一度見るのを躊躇するのは良くわかる。
でも、本当に癒されるとそれは永遠になくなる。いや、なくなるどころかギフトになって返ってくることさえある。
それは世界がひっくり返る体験だ。
自分の心、感情が自分を辛くしているのなら、
起きた感情をなかったことにしないで、まっすぐ見ることができるなら、フラワーエッセンスは心強い味方になってくれる。
誰でも手に取ることができて、自分で選び、癒すことができるなんて、癒しには最高だ。
思いぐせは手強いし、馴染んだやり方に簡単に引き戻ってしまう。
でもエッセンスを傍らに、気づくたびに癒しは進んでいくことは揺るぎない事実。
今日も自分自身を癒しながら、
いつも心は平安であれ。
フラワーエッセンスのこと②
2021/09/21 JUNKO
フラワーエッセンスのこと②
心に余裕=スペースが増えてくると、エネルギーが余っているのを感じた。しっかりと十分休んで満喫したら自然と何かがしたくなる。
自然とやるべきこと、私でいうならカフェの仕事なのだけど、どんどん手際が良くなる。これを煮ている間にできることはなんだ?
あの合わせ調味料が足りなかったから作っちゃおう!あ、これも同時に茹でられるね。時間が余ったからあの調味料も作っとこ!
こんな調子でお湯を沸かす間ももどかしく感じられるぐらい、冴えっ冴えなのだ。必然的に料理の品数は増えるし、新しいレシピも浮かんでくる。
それはいいことでしかないし、無理しているわけでもないから、どんどん加速していくのだ。もう全自動?!っていうぐらいに動き始めたらすごいのだ。
その頃、長雨や低気圧の影響もあってか、頭痛の兆候が。
『あ~くるなあ~。でも閉店までは頑張ろう』
そう思って、なんとかやり切って、1日が無事終わる頃には右側の偏頭痛に変わっていた。
いつも通り動こうとすればズキン!ズキン!と痛む。
もうその日は夕飯も適当に任せて、早々に布団に入った。明日から2日休みだし、2日も寝れば治るだろう。
そんな風に軽く考えていました。
でも、翌日には頭痛は後頭部へ。
頭痛以外は何もないのだが、とにかく痛みに弱いから動けない。動きたくない。
家族に甘えて部屋にこもり、それでもよく寝たから少しは楽になってきた。
そして翌々日には痛みは眉間に。あ、これ、経験したことがあるなあ。眉間が浮き上がるように脈打つ。
大きな変化、シフトチェンジなのかもしれない。ぼんやり感じていた。
明日までに治ってくれるといいなと思いながら、布団から離れなかった。
そして休み明け。
まだうっすら痛みがある。けど寝すぎて身体が固まって余計に首肩が凝ってしまうし、『ゆっくり動こう。』と思った。
私がいつもの動きをしそうになると頭を締め付けてくる。まるで孫悟空の頭の輪っかのようだ。
おまけにカフェインを取ると痛みが増す。アルコールもだ。飲むとわかりやすいぐらいにズキンズキンと脈打つ。
夕飯の一杯も、朝のお楽しみのコーヒーもお預けかい!泣きそうである。
仕事中もあれこれやりたくなる気持ちを抑えながら、ゆっくり動くしかなかった。
仕込みをしながら、ふと私のタイプレメディーである『インパチェンス』が浮かんだ。
そして、もしかして今、インパチェンスな自分が表面に出てきてるんじゃないのか?!と思った。
"インパチェンスは頭の回転が早く、行動も素早い人、あらゆることを迷うことなく済ませたいと願う人に。病気の時には早く良くなりたいとやきもきします。
彼らは遅いことを、時間を無駄にする悪しきことと考えるため、ゆっくりした人に我慢するのが非常に難しく、なんとか早くさせようと急かします。
多くの場合、自分のペースで全てを行えるよう、一人で考え、働くのを好みます。"
~エドワード・バッチ 著作集より~
私はもともとそんな気質でしたが、この頃は特にその状態が極まっていました。
これではどんなにスペースが空いても、そこに入れ込むから結局は昔のパターンから抜けられない。良きことだと思っていることが余計気づきにくくしている。
これは今が取り組みどきなのかもしれない!
そしてインパチェンスをトリートメントボトルに用意。
慣れるまではいつでも飲めるように、家と職場と1本ずつ用意して、朝昼晩寝る前だけじゃなく、くわーっと急ぎそうになったら飲む、というのを心がけた。
いままでのやり方を根本的に変えるような、結構本質的な1本だ。
カフェイン、アルコールは、やりたがる私に拍車をかける。
それらを飲んでいなくても意識が自律神経を刺激するのがわかる。カフェインが脈拍をあげ、アドレナリンが出るのがわかる。
これ、本当に会得できたら、意識で自分を整えることができるようになるかもしれない。
そんな風な流れで『インパチェンス』の取り組みが始まりました。
次回はその後の変化について。
フラワーエッセンスのこと①
2021/09/18 JUNKO
フラワーエッセンスのこと①
フラワーエッセンスのセッションを9月から再開して、ご依頼やご質問を受けたりして、自分が思っていた以上にみなさん興味を持っているんだなと実感しています。
レメディを選び、それを飲み始めると、自分自身の中に起こる心の変化を感じることがあります。的が絞られれば絞られるほど、感じる心の変化は顕著になります。
私自身が最近体験したことも少しずつシェアしていこうと思います。
でもその前に、自分自身を癒し、整理してきた過程は、私にとって欠くことのできない大切な要素だと思っているので、そこから書いていこうと思います。
バッチ博士は言います。
『汝自身を癒せ』
究極のところ、私がやることはそれしかないと思っています。
癒しとは『自分自身との和解』『赦し』なのだと最近思います。
成長過程で感じた辛かった記憶、そう思ってしまった、思い込んでしまった小さな自分を内側に見つけ、声を聴く。
そして、辛い気持ちを感じたくないがために、頑丈な蓋を占め、頑なに自分に強いてきた自分にも、『そうするしか知らなかったよね、よくやってきたよね』と労いを。
そうして今起こっている感情がどこ由来なのか、丁寧に見ていくと出会える小さな自分との和解。癒し。
そしてもうひとつ。
『奇跡のコース』の教えの中にある『私たちに罪のないことは保証されている』という真理。それを知ったとき、いままで生きてきた世界がひっくり返ったし、同時に心底ホッとした。
長くなるので割愛しますが、罪の意識、罪悪感がどれほど世の中を捻じ曲げてしまっているだろうと思う。
心の中に罪悪感が起きたとき、そこもやはりどうしてそれを感じたのか、丁寧に見ていく必要がある。
そして自分には、そしてどんな人にも罪はないのだと知っていく。意識を訂正していく。
『自分自身との和解』と『意識の訂正』。
これを進めていくと、どんどんやることがなくなる。笑
今まで、どれほどやらなくていいことをやってきたかを知る。
ほとんどが罪悪感由来であったこと、周りに気を使い、小さき自分自身の声に耳を傾けられなかったことに気づいていく。
そして、それが日常になってくると、いろんなことが見えるようになってきました。
罪悪感は自分のものも他人のものもよくわかるようになりました。だから外側に影響を受けなくなり、事実を淡々と受け止めることでずいぶんと楽に生きられるようになりました。
自分を癒していくと、考え方や行動がどんどんシンプルになり、スペースが生まれます。スペースとは心の余裕とも言えます。
自分のやるべきことに力を注ぐことができて、よりスペースは広がり、そこにインスピレーションがやってきます。やりたいことを楽しむことができます。
毎日が幸せで、じっくり読みたかった本を読んだり、家を整えたり、海で遊んだり、本当に話したい人と話をしたり、、、
それだけでももう本当に十分幸せでした。
そのさきがあるなんて、誰が期待したでしょう。でもこの辺りから、自分は何もしていないのに変化が加速していくのを感じるようになりました。
そんな時に身体に起こった変化の話。摂ったレメディの話を。前置きが随分と長くなったので、次回シェアします。