黄色い星café / 茅ヶ崎 ヴィーガンカフェ

日々のこと

明日は立春 1年が経ちました

昨年の立春にプレオープンをしてから1年が経とうとしています。

夢でもらったヴィジョンから始まった『白い鏡と黄色い星』。あれから1年、ものすごいスピードで変化、変容し、芯こそは変わっていないものの、新しく出逢ったもの、加わったもの、研ぎすまされたものなどを通過してきました。

意識の変化も凄まじく、始めた頃の心もとない感じや、なんとか形にしなければというがむしゃらな気持ちは、怒濤の日常に揉まれ葛藤し、いい意味での諦めがあり、何もないまっさらに戻り、今、とても心地いい場所を見つけたというところです。

そして今日、1年の報告をするのと同時に、どうしてもここに記しておきたいことがあります。

先月25日、我が家の愛犬もっちゃん(ルビー)がなくなりました。12歳7が月でした。

昨年11月、心不全で緊急入院してからたったの2ヶ月で逝ってしまいました。私は実家に同じ犬を飼っていたことがあるので、この犬の持病がわかっていたつもりだったので、これから薬でコントロールしつつ、ゆっくり面倒をみていこうと思っていました。

でも1月を過ぎたころから失神を繰り返すようになり、ついにお散歩ができなくなっていました。

最初はそれが受け止められなくて、いろいろと調べたり、病院に相談したりしていましたが、失神してぬいぐるみのようにグニャグニャなもっちゃんを抱いているとき、『倒れちゃうもっちゃんでいいよ〜。おしっこをもらしてしまうもっっちゃんも大好きだよ〜』と心の底から受け止められました。そうすると、私自身はもちろん、心なしかもっちゃんもホッとしたような顔をしたような気がしました。それからはますます頻繁に、家の中の何もない状況でも倒れているのを見るようになりました。それでも私は馬鹿みたいにこれから介護が始まるんだって信じて疑わなかったのです。

その日は翌々日のカフェの準備で大忙しでした。まったくいつも通り、私は忙しくしていました。合間に息子に絵本を読んでやると、珍しくしっぽをふって近づいてきて、顔をなめてくれました。

夕方、忙しさがピークの中、娘のバレエのお迎えに行って帰ってきて、散歩に連れ出そうと呼びに行くと、息絶えたもっちゃんが倒れていました。ひとりぼっちで逝ってしまいました。いつもいるお気に入りの場所で。

 

カフェ、できないかもしれない、と思いました。やめてしまおうか、と思いました。でも。このタイミングで逝ったもっちゃんを思ったとき、私は今の私ができることをやろう、と思いました。肩のちからは自然に抜けていたし、腑抜けだったし、本当にやれることだけ淡々と準備しました。そうしたら初めて3時にすべての準備が終わっていました。『これでいいんだね。』心の中で話しかけました。

 

まだまだ悲しみの中にいる今、このことを書くことがなかなかできませんでした。一人になることすら憂鬱で、自分の中の深い悲しみを見るのが辛くて、夜も子どもたちと早くから寝てしまう日々でした。それでも私の状況は日々動いていて、私の芽吹きを感じざるを得ない。もう明日から春なんだ。毎日の散歩、毎日の食事、薬、目線、気配り。そこがぽっかりと空いてしまったと悲しんでいたけれど、少しずつそれに慣れていっている自分にも気付く。ああ、同じところにはいられないんだなあ、と思う。どんなに深い悲しみも、こうやって少しずつ薄まっていくんだ。

 

いつも側にいれくれて、しょっちゅう癒されて、私は本当に見守られていました。亡くなって、どれだけ私がいつも目で追って、安らぎを求めて胸に抱いてもらっていたか、思い知らされました。小さくて、本当に大きな大きな存在でした。かけがえのない大切なものをもらった、と思っています。

 

彼女が去って、さて私もいよいよ旅立ちです。そんな気持ちでいます。出会い、別れ、喜びも悲しみも、すべてを含んだ1年をこれからの糧にして。愛おしい人生です。豊かな人生だと感じます。これからもすべて味わい尽くします。

 

 

少し前に決まっていたのですが、2月7日(火)ロースイーツクラスをKeyさんで開催します。

それから2月14日(火)は同じくKeyさんで『何でもない日のパーティー』にロースイーツと天然石ジュエリーで出店します。

そして2月21日(火)はカフェを開催します。今回から自宅を出て、プライベートスペースでの開催です。詳細はまたアップしていきます。

春分を目標に天然石ジュエリーのネットショップ開設の予定です。今からわくわくしています!

 

2017年春。これからは外へ向けて出発です。

 

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これからも一緒に

 

 

 

天然石のこと

『今の自分にできる範囲で天然石をあつかっていこう』

そう決めてから、ものすごい早さで展開が進んでいます。笑 対外的にというよりは自分自身の芯というか軸がくっきりとしてきました。

やはり性格上、できるだけ最高のクオリティーを求めてしまう。笑 よりよく、よりよく、と選んでいくと、今まで使っていたものも使えなくなってしまう。(ほんの短い間ですが!!)

そうすると必然的に価格も上がってしまう。

そこで一瞬、以前のくせで、買いやすい価格ってどれぐらいだろう?って考えてしまった。一気に気持ちが冷めてしまって、そこで気付く。そうじゃない、自分がどんなものを作りたいのか、それだけでいいじゃないか。

今、石を吟味していざ買うときに、私はその代金を払い、石が手元に届きます。石と出会い、ふれあい、語り合い、、、それはそれは至福の時間です。そしてさらに、沸いてきたイメージをもとに細かい作業をしているとき、そこもまた何にも変えようのない至福感で満たされます。本当に苦しくない。気の遠くなるような細かい延々と続く作業が私の魂を踊らせる。それこそ時間を忘れて続けてしまう。疲れるどころかどんどん冴えてしまう。笑

どうしてなのかわからなかったけど、最近ぼんやりと思う。この器用な手は神様からのギフトで、ゴッドハンドなんじゃないか?!って。笑 この手は本当は授かり物で、この世に繊細で美しいものを生み出すために神様がこの手を使っているんじゃないかって。もはや私のアイディア、私の技術なのではなくて、神様、大いなるものの意志に過ぎないんじゃないかって。大げさです!笑 

でも自画自賛なのではなく、私は単なるパイプなんだ、と結構真面目にそう思って、毎日私の手や肉体に感謝しています。

こんなに石と携われて幸せを味わわせてもらっているので、私はその石を使ったアクセサリーが本当にふさわしい人のもとに旅立っていくなら更なる幸せな気持ちをいただけるとは思うけれど、誰の目にも留まらなかったとしても、もう十分に満ち足りているんです。

だから思う存分吟味して、自分が納得のいく石を選んでいきたいし(限度はもちろんありますが)、細部にいたるまで厳選して作っていきたいと思っています。(っていうかそうとしかできない)

オーダーも承っているので、そのときはお客様のご希望をお伺いして、私のできる最高のクオリティーで仕上げていきたいと思っていますので、遠慮なくご相談くださいね。

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ピンクオパールと淡水パールのピアス

ピンクオパールに一目惚れでした。パールも一粒一粒手作業で金具を取り付けています。楽しい〜

今年もよろしくお願いいたします。

みなさま、明けましておめでとうございます。

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今年も昨年に引き続き、胸躍るときめくこと、楽しいことをたくさんやっていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

12月はおーちゃんとのクリスマスライブで楽しんだ後、子ども2人を連れて、大好きな人たちがいる大好きな沖縄に行ってきました。子ども連れとなるといろいろと制限はあるものの、気持ちはどこまでも自由で、もうただそこにいられるというだけで、身体の底から喜びを感じ、起こることすべてをゆだねて、素晴らしい時間を過ごしていました。翼を取り戻した私は(翼を取り戻した話も書かなきゃいけません!)その翼の感触をしっかりと感じて確かめていました。さあ、2017年はたくさん飛びますよ〜!一人だろうと子連れだろうと、行きたいときに行きたいところへ。

そしてもう一つ、昨年思い出すことができた、石とのこと。

ライブでの初お目見えからも、たくさんの石との出会いがあり、ヴィジョンもさらにどんどん降ってきていて、そのことを考えると作りたくてたまらなくなるので、お正月の間は考えないようにしていました(笑)。

拡大ルーペを使った細かい細かい作業を見よう見まねで進めるうちに、昔買ったネックレスのことを思い出しました。

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それはシトリンのネックレスなのですが、それまで見たことのないような繊細な作りのネックレスで、その美しさ、繊細さに一目惚れした私はそのネックレスを連れて帰りました。

そのあと、すぐにクリスマスだったのですが、シトリンのネックレスについて熱く語る私の話を聞いて、クリスマスプレゼントにスモーキークオーツと淡水パールのネックレスを贈ってくれた夫。ネックレス、買ったばかりなのに、、、(笑)。でもそれもとても素敵だったので大切にしていました。

あれから10年。子どもも生まれて、抱っこしたら引っ掛けて切れてしまうであろうネックレスはずっと引き出しにしまわれていました。

そして先日、極細のワイヤーで眼鏡留めという作業をしているときにふと、夫がくれたネックレスのことを思い出したのです。急いで取り出してみて見ると、なんということでしょう!(笑)たった今私がしている作業とそのネックレスの作り方がまるで同じだったのです!そしてその憧れた細やかさもまるで同じレベルだったのです。

そのできごとは、私がずっとかわらず好きなものを、確かなものにしてくれました。やっぱりやっぱりわたしはずっと前からこういう細やかなものが好きだった。石も好きだった。そしてそれを作ることができる器用な手があった!そのことがはっきりと分かったとき、魂が喜びに震えました。

それはそれは不思議な感覚です。

誰の評価もいらない。ただただ作りたいのです。思いつくままにやってみたいのです。そして昨年やってきたカフェもあるから、できた作品を人に見てもらうこともできる。なんて幸せなんだろう。

初めて仕入れる少し高価な石を購入するとき、一瞬ドキドキしたけれど、それもすぐにワクワクする気持ちに変わっていった。私が作るものはもう見えていて、早く作りたくて仕方ないのだ。その先のことは深く考えてもいないのだけど、今は魂の喜ぶままに、この器用な手を授かった奇跡に感謝しながらこの地球に美しいものを生み出したいと思っているのです。もう過大評価も過小評価もしない。本当に自分が美しいと思うから、それが素敵だと思うから作りたい。

 

1月のカフェは1月27日(金)にオープンです。

今年も石だけでなく、身体にこころに優しく美味しいスイーツも作っていきますよ〜

 

 

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落とし物を見つけに

また新月が巡ってきますね。

まるまる9月10月とこのサイトにも触れることも見ることもせず、SNSからも遠ざかり、人生の落とし物を見つけに行っていました。不思議と、慣れ親しんでいたいくつかの暦からも遠ざかっていたのに、大きな節目を感じたとき、それは宇宙とちゃんと連動していることを知り、目に見える暦(カレンダー、手帳など)なくても私の細胞がちゃんと反応して生きていることを実感しました。

生易しい旅ではないことは分かっていたけれど、落とし物に気付いてしまった以上、気付かないふりをしたまま生きていくことはできる訳もなく、落とし物を拾うにはその道を進む以外に選択肢はないことも知っているから、ただただ行けるところまで、深い深い闇をどん底まで行くしかなかった。

この歳になるまで、私には常に目標があってそれを達成し、何かを成し遂げることで人生の充実感を得ていた。幸か不幸か私は次々と目標をクリアして、それなりに周囲の評価も得てきたし、自信にもなった。目標を達成することに決して悪い気持ちはしないわけで、ずっとそうやって生きてきた私にとっては、努力して何かを成し遂げることは、当然のやり方であって、問題だと思うこともなかった。

理想の職業につき、ステップアップも何度かした。結婚して伴侶を得た。思いつくままに旅をしつくし、子どもを授かって出産した。生活を自然なものにガラリと切り替えて、理想の幼稚園にも出会い、理想の子育てを追い求めた。(上手くはいかなかったけど)。ようやく落ち着いた頃に二人目を授かった。二人の子育てをしながら、今度はさらに仕事もしていこうと思った。だけど、思うようにはいかなかった。もがけばもがくほど空回りして消耗していった。消耗した私は家族から奪った。

でもそんな生活が続けられるはずもなく、ある日を境に自分の生き方に疑問を持った。

もしかしてこの生き方、違うかもしれない。

側にいる人たちはずっと前から教えてくれていた。

 

そのまんまでいいんだよ。何にもしなくてもあなたは素晴らしいよ。

 

分かっていたようで、分かっていなかったのだ。

受け取ったようで、受け取っていなかった。

何かしていなくては不安で、成果が出なくては焦って、誰かと比べては落ち込んでいた。何もしなかったら私の価値がなくなってしまうと信じていた。そうに違いないと思っていた。

きっとずーっと昔から。小さいときから思っていたのだ。

 

やっと落とし物を見つけた!

 

人には当たり前のように言っていたことを、私自身には許していなかった、本当には分かっていなかったことを知って穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。そんな落とし物が自分にあったのだということをちゃんと認めるまでが本当に辛かった。でも落とし物を拾って生きていくためにはそのことを認めるしかなかった。

 

なんにもなくなった私で周りを見ることは怖かった。でもたくさんあった。与えられていたことに気付くだけでよかった。

 

それからはオプションも何もない自分で生きる練習の毎日。なにも付いていなくても与えられることを知る経験を重ねる。いままでの長年の癖があるからすぐにもとの思考に戻りそうになるけど、あんなに恥ずかしい思いをした今、もう二度とあの場所には戻りたくなくて思い改める。笑

1ヶ月以上そんなことを繰り返して、だんだんと明るい日の光のもとに帰ってきた。

戻ってきたけど、同じようで同じではない。

何にもしていない(ちゃんと目の前の子育て、生活はしてるけど)自分がやっと心地よくなってきて、心地よすぎてこの先も動けないんじゃないかと思うけれど、自分の中で満たされていくことを経験して、エネルギーが勝手に溢れ出る頃、きっと今度は達成するためではなく、やりたいからやるんだろうなあと思う。

もう達成しなくても私は十分に満ちているから。あとは本当にやりたかったらやればいいだけだから。

 

誰よりも心待ちにしていた私の9月のゲートは予想だにしない波乱に満ちた険しいものだったけれど、その荒波をくぐり抜けた今は、やっぱりいけるところまで行ってきてよかったなあと心から思う。

 

新月とともに、新しい扉を開きます!

 

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白い鏡と黄色い星

今日、9月3日は13の月の暦では『白いスペクトルの鏡』。私の誕生日の紋章です。

プレオープンのときのようなイベントはありませんが、密かに今日、グランドオープンします!心の中で♡

プレオープンから半年。ケーキのご注文や卸、料理教室、スイーツクラス、フラワーエッセンスのコラボイベント、13の月の暦WS、それからアンシェントメモリーオイルとライブ、スイーツのコラボレーションなどなど。目の前にある、私ができること、求められることをたくさん体験させてもらいました。たくさんの出会い、発見、喜び、葛藤、諦め、気付きを経て、今日からまた一つ魂の望む形に近づいてスタートを切ります。

最初に想像していた今日という日とは全然違う形ですが、一番大切なのは自分の魂が窮屈でないこと。想い、溢れたことを行動にうつして現実にしていくことを基本に、世の中に心地よさを循環させていけたらと思っています。

こどもがいる私の生活がベースとなるので、スローペースではありますが、心を込めて美しいものをつくっていきたいと思っていますので、これからもどうぞよろしくおねがいいたします。

9.3.2016 

junko morii

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夏休みが終わって始まりの日

長くて暑い夏休みが終わりました。

夏休み最後の日の夕方、いつものように公園で二人を遊ばせながら夕日を見ていたら、夏休みが終わった安堵感でいっぱいになった。あ〜生きてたな〜って。自分も、こどもたちも。一人も欠けず、大きな怪我も病気もせず、今ちゃんと生きている。よかったな〜って。

大げさではなくってね。7歳と2歳のこの微妙な歳の差のふたりとの夏休み。起きた瞬間から始まるわけです、それはそれは騒々しい毎日が。それに暑さも加わって全員の不快指数200パーセント!!不機嫌て人をうつにするし、発狂することもしばしば。残り3日になったとき、死んじゃう!って思った。こんなに不快なら死んだ方が楽かもって。

でも生きてました。(笑)みんな生きていた。それだけで十分じゃないか。私、よく頑張ったよ、よくやったよ!って。

7月8月は自分の事をやれない、ということに葛藤を抱きながら、何かを成し遂げない自分を認めることに、ただただ向き合っていました。何もしなくても、何も成し遂げなくても、何も生み出さなくても、存在しているだけでいいと自分が認めること。それをせざるを得ないシチュエーションを与えられ、完全降伏。ここが自分のステージだと、やりきった。月末には9月のスケジュールを出さなきゃ、とかレシピが、とかいろいろよぎったけれど。それも乗り越えてなにもしませんでした。笑

2月の立春から立ち上げたこのページ。実は今まではプレオープンとして修行をさせてもらっていました。そして予定通り9月の3日が私のKINバースデーにいよいよ本格始動です。

こんな風に3日を迎える事になるとは想像もしていなかったけれど、2月から思いつくことをいろいろとやってきて、とにかく体験してきました。やりたいこともやってきて、模索してきた半年。

最後の1ヶ月と少しの時間は禅問答のような時間だった気がする。何をすればいいのか?何もしなくてもいい。何がやりたいのか?何もしなくてもいい。あるだけでいい。それでは何にもなれない。ならくていい。ならないと始めた意味がない。意味は必要ない。

本当に、考えれば苦しい時間。だからただ何もしないことを体験することをしていた。

 

すべてはもうあるじゃないか。

 

それが答えだった。

私の毎日の小さな小さな営みの積み重ねは、ときには退屈で、見たくもない日もあったし、投げ出したくなることもあるけれど、毎回、毎日、それでもなんとかつないでつないで今日まで生きてきた。小さな小さな胸のときめくことも、あまりに小さくて見落としてしまいがちだけれど、毎回、毎日感じて血肉にしてきた。

それはどこかに消える事なく、私の周りに年輪のように私を強く太くしてくれた。

もう外に探さなくてもそのことを知るだけでいい。あとは内から溢れるときに溢れるままに表現していけたら。誰に対してでもない、自分自身のために。

 

今日、学校が始まった。7時半に夫と娘が出て行くと、久しぶりに静寂が訪れた。またことばが出ない息子と愛犬と私の時間。夏休みがどれほど騒々しかったかがよくわかる、染み入るような静寂だった。一瞬だけ。

そして新月、始まりの日。

今日の誓いをまた日々生きていこう。血となり、肉となるように。

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夏休み最後の日に秘密の公園で娘が摘んできた草花と拾ったドングリ。最近の散歩は収穫物が多くて、手提げかごを持ってキックボードで出かける。彼女の同じような毎日の積み重ねも、ちゃんと年輪を刻んでいることを感じる散歩道。

 

 

新たなるステージは

また新月がやってきました。

蟹座の新月に手放して決心したら、翌日から宇宙は本気で応えてきてくれました、、、。

今のこの地道な日常をしっかりとやる!と決めたとたん、我が家の2歳児はパワーアップ!!魔の2歳がやってきました。言葉は出てこないけれど、やりたい気持ち、できない悔しさ、止められる苛立ち、すべてをマックスに表してきます、、、。今頃になって、長女は育てやすい子だったのだなあと思ったりしています笑。

とにかく気が済むまで腹の底から声を絞り出し、泣きます。。。

そこをなんとかなだめようとすると、もっともっとすごくなります。。。

はっきりいって、お手上げです。。。それしかなす術がありませんから、なるべくその状態になる前に、こちらもある程度はあきらめて付き合い、話しかけて、満足してもらい、納得してもらうということをするようになりました。話せば結構わかってくれる子なのでね。でもそれができないときもあるわけで、、、そのときは、、、覚悟を決めて、、、

そんな毎日、に加えて夏休みが始まってしまったわけで、、、彼らが朝起きた瞬間から事件は勃発するので、1日が終わる頃、いや彼らを寝かしつけている時にはもう、再び起き上がる気力など残っていないのです。

そんな毎日の中でもここにいると決めた以上、喜びあふれる瞬間を大事に、楽しみたいといろいろと試みています。夏だしね♩

そういえば2歳になった息子。夏だしね♩ということで、ゆるゆるトイレトレーニングを始めました。こちらも毎日がそんな状態だし、ダメ元で始めたのですが予想以上にオマルを上手に使いこなしてくれています笑。ついに今日は一度も失敗することなく過ごしました。もともとお水を飲む方で、おむつは変えてもすぐにパンパンだから、オマルの使用回数は半端ないですが、、、それでもちゃんと教えてくれて2回のう◯ちもできて、とても嬉しそうにしていました。期待しないと何もかもが喜びになります。

こうする!と心から決めると、宇宙は最速で応えてくれることをこれまでも何度も経験してきましたが、ステージが変わる事は必ずしも今よりも光り輝くうきうきな毎日が待っている訳ではないんだということを痛感するこのごろです。

もちろん心から決めるということは、新しいステージを生きる覚悟ができたということだから、なにが起きたとしてもそこを生きるしかない。そしてそこを生きる抜けるだけの力が私にあるっていうこともどこかで知っているんだ。

たとえ一見輝かしい毎日でなかったとしても、それを知って決意したということは、新しいステージを生きているということなんだ。だからやはり昨日の自分と今日の自分はもう違う、同じようでちゃんと螺旋を上がっているんだと自分を励ましながら。夕方の愛犬の散歩にみんなで繰り出すころ、見上げる夕空にホッと一息つきながら。今日もまた生きたなあ〜と嬉しく思ったり。

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こちらは夕空ではなく笑。

先日家族で行った南伊豆の多々戸浜。どっぷりとこどもに還り砂を掘ったり、海にもぐったり、波に乗ったりして遊んできました。遊ぶと決めるとすごーく楽。満喫した2日間。

今日の新月にも新たに誓いを立てて。またまた新しいステージに突入しますよ。どんなときも最善だと噛み締めながら味わい尽くします。

新月に手放したいこと

最近箱根の山の温泉まで、日曜の夕飯を終えたあと、夫に子どもたちを任せて、ぴゅーっと行ってしまいます。最初は近所の温泉だったけど、ある日『私はどこまでも自由なんだ』ってことを感じたくて、気付いたら遠くまで車を走らせていました。少し離れると、もうあとは何が起こっても委ねるしかなく、どことなくあきらめがついて、自然に身をゆだねて、芯からゆるゆるになります。

昔は行きたいところにだったら、沖縄だって、大阪だって、フランスだって、すぐに飛んでいた。一人だったらなんでもぱっぱと決めて、軽々と動けた。だから2人の子がいる今は前のようには動けないけれど、ときどきこうして一人になってぴゅーっと車をとばしてちょっと遠くまで自分をいざなってあげると自分がとても喜ぶのです。

毎日はそう穏やかにはいかなくて、7歳の娘ともうすぐ2歳の息子の世話に追い回されて、あっという間にすぎていきます。先々週は久しぶりに自分の好きな世界に足を伸ばしてきて、唄って踊って、地球のために生きる人々に出逢って、こんな風に生きたい、と思っている自分を見つけ直した。魂が欲している、この感覚を思い出した。

でも現実はどうだろう。

どっぷりと子育て、家事をする日々を選んだのは紛れもない私自身だ。地に足をつけて、根を張って生きたいと願ったし、そのとおり生きている。毎日散歩をして、滑り台を何十回も滑って、帰ろうと言ってもなかなか帰れなくて、食事は時間がかかる上に、床にはたくさんの落とし物、さっき掃除したはずの部屋は、次から次へと出しては決してもどされないおもちゃが散乱している。姉弟仲良く遊んでいると思ったのは最初だけで、そのうち喧嘩が始まる。そして私も怒鳴る。本を読み出せば何冊も何冊も持ってくる。もうおしまいだと言えば本でたたかれる。

もう、あとは1分も早く寝てほしい。そんな毎日だ。

それでもその生活を望んだのは、その体験を経てしか得られない自分に会いたかったからだ。そのことを自分の深いところが知っている。そんなにつらいなら、子どもを預けて仕事に戻ったらいい。何度も想像してみたけど、やはりこの生活よりやりたいことは今はない。こんなに痛い毎日なのに、、、ここはさけられない。

私は子育てが上手くないと思っていて、子どもをしかるたび、怒鳴るたびにどこか自分を否定してた。前よりはそんな自分を責めることはなくなったけれど、それは意外なところに影響を及ぼしていた。実生活の中で子育てが上手じゃない私は、自分の魂のことまでできない私だと思う癖が付いていた。子育ても満足にできない私は、魂の望む生き方など想ったり、外に表現するに値しないと。

でも

子育てが上手になるのを待っていたら、死んでしまう!!せっかく生まれてきて、魂の望みをしっているのに、きっとそれができないまま終わってしまう。

今、このタイミングではっきりとわかった二つのこと。

現実を生きて、どっぷり体験してこそ出逢える自分に逢うために毎日を今までどおりしっかりと生きる。そして現実の生活の挾間でやりたいと望んだこともやること。

 

ふたつをごっちゃにして自分を過小評価することをこの新月で手放そう。

 

実生活でもがく私も、地球と生きる私もどちらも愛おしい自分。自分を縛っていた自分の評価を手放すことにしよう。

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沖縄の話 辿り着きたい 汗

前回の沖縄の話で(沖縄にはたどり着いてませんが)私は二人目子育てに『余裕』が見えたなんて書きましたが、、、それはほんのちょっとだけ『余裕』が垣間見えたという、ちょっとだけ耐性がついたとでもいうのかな?ちょっとだけキャパが増えた?違うな、なんていうか、頑張れなくなったという表現が一番しっくりくる感じなのです。一人目はなんだかがむしゃらで、言葉の通りの体当たり。真っ正面からぶつかり合っていた感じが、今はそれがいかに体力を消耗させ、そして無意味なことなのか、身を以て知ったのだと思う。もちろん、本当にだめな状況では身体を張って頑張ります。男児ですし、ほんとに疲れます!それでも常に身体を張っていた昔よりは断然張る回数は少ない訳で、だからこそのちょっとした『余裕』が見えたのかと思います。

いやあ、今日はスイーツクラスを楽しく終えたのですが、そのあとかえってきた息子を追い回し、寝かしつけ、なかなか寝ない、何度も起きる、でへとへとなんです。。。よ。どこが余裕かって自分にツッコミました。

つづきです。

そして、くすぶったまま沖縄に飛んだ。今までは自分のために、だいたい一人で行った沖縄。そこでの出来事、出会いは私一人の非常に狭い世界の中にだけで繰り広げられていた。まるで大切な宝箱のような、この先それをだれかにシェアすることは私の世界の押しつけのような気もしたし、自己満足にすぎないと思っていたから絶対にないものとおもっていたのだけれど。一緒に旅することになった友人とは、不思議な事にそれがとても自然な形で、なんの気負いもなく、その宝箱をシェアすることになった。

友人は10代のころから段々と視力が悪くなり、今では正面は穴があいているように見えなくて、お魚のように視界の外側だけわずかに見えるぐらいなのだそう。そんな友人も、誰かと旅行することは相手に負担をかけることがいやで、ほどんどした事がないそうだ。でも、彼女も不思議と私との旅を何の不安も心配もなく委ねることができたのだそう。私は私で、私だけがたよりのこの旅に目の不自由な彼女を連れて行く事に不安も負担も全くなかったし、私もすべてを信頼して委ねていたから、この旅が素晴らしいものとなることはもうわかっていた。だからこの旅にでる数週間前にそれを確信したとき、もうすでにそこで体験するであろう感覚を胸いっぱいに感じて、感無量だった。なぜか胸いっぱいで涙が込み上げるぐらいに。

2年ぶりの沖縄。そんなに久しぶりではないけれど、今日は大切な友人を連れている特別な旅。なんだか味わった事のないような気持ちだった。すべてが2人分以上に拡大される感覚。シェアのすごさを実感する。

着陸したときから、友人の目には見えない視界に広がる色の洪水がすごかったそうだ。沖縄に着陸するなり開口一番に彼女が言ったのは『沖縄ってやっぱりすごいね!』だった。笑。目の前の色の光が強さを増したそうだ。ケラケラ笑いながら、すでに沖縄を楽しんでいた。

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旅はまだ始まったばかりなのに

 

つづく

 

 

沖縄の話 つづき

そして私は長女5歳半のときに待望の二人目の子を出産し、一人目育児とはまた違うステージを歩きはじめました。5年半の一人目育児はすべてが初めてのこと。毎日少しずつ学んでうまくいくようになったと思ったら次の課題に取り組むような日々。『余裕」なんて感じる隙はなかったように思う。クローゼットにしまい込んだ石たちを、たまに手に取って一息つくぐらいの、それぐらい遠くへしまい込んでしまった。

二人目が生まれて、新たな喜びを感じ、そしてもちろんたくさんの課題をこなす毎日。さぞかし以前より一層余裕がなくなり忙殺される日々が始まる事を予想していたのだけれど、長女も成長してくれいて、私も初めてでないことがいくつもあり、そして何より長女と過ごした5年間で私はずいぶんと柔らかく、委ねられるように成長していたようで、周りの人に甘える事ができるようになった分、肉体的にも精神的にもうまくやれるようになっていた。

そして期待すらしていなかった『余裕』がちらりと顔を出した。

同じように育児に邁進するつもりが、長女は学校に行って朝は7時半からもういないし、下の息子もさすがは2番目とあって結構一人遊びが上手である。なんだか持て余している自分がいる?

ちょうどその頃、自分の身辺でも変化が起こり、今回沖縄に旅行に一緒に行った友人と急速に深まっていったり、新しい出会いもあり、周りの景色ががらりと変わっていった。

長女が通った幼稚園のつながりの人たちからバッチを引っぱりだしてもらったり、料理を教えてほしいという声があちらこちらから聞こえたり(きっと今までもあったのに聞く余裕さえなかったのだ)なんだか周りからそわそわと緩やかに、だけど確実にあおいでもらったような、実感のないままなんとなく楽しいし好きだからいいかあ、ぐらいの気持ちで動きはじめていた。

いろんなことが確認できないままでいたけど、タイミングよくシュタイナーのバイオグラフィーワークに参加することになり、人生を振り返り、流れを学ぶうちに、あれもこれも!!たくさんの確認がとれて自分の中で今起きている事に合点がいった。なんてありがたいんだろう。本当に嬉しかった!

42歳を節目に人は今まで世の中から受け取ってきたものを世界に還元していく時期に入る。

そうかあ!ならば私は10年前、たくさんのいいときを過ごし、自分自身のために、思いつくままに学んできたことを今度は誰かのためにお還ししていこう。そのために私はあの時間をたっぷりと味わったんだ!そう理解した私は私のできることを始めようと『白い鏡と黄色い星』を始めた。

でもまだそのときは自分の中の喜びにまだまだ気付いてはいなかった。できることをする、そのことは案外苦ではなくて、むしろ、あ〜こんなに楽にできるようになったのだな〜と思えた程。なんとなく、これでいいんだろうか?という疑問が自分の中で芽生えてきた。不完全燃焼、どこかくすぶっている感じを引きずりながら、まだ始まったばかりじゃないか!と自分を鼓舞しながら目の前の事はしっかりとやろう、と毎日を過ごしていた。

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ぜんぜん沖縄の話にたどり着かないけど、、、(汗)

つづく

 

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