黄色い星café / 茅ヶ崎 ヴィーガンカフェ

BLOG

本当に癒されるということ

『癒される』『癒し』ってどういうことだろう?

 

つい最近まで、私は『癒し』の本当の意味を知らなかったのだと思う。

 

美味しいもの食べて癒された~

話聞いてもらって癒された~

可愛い動物に癒される~

海で、山で遊んで癒された

 

 

それも確かに何かではある。でも本当に癒されることを知ると、それらは表面上のお手当てにすぎず、むしろ『労い』、とか『補い』という言葉の方がしっくりくる。

それでもそれで気が済んで、また元気になってやっていって、そしてまた嫌なことがあって、補って、そしてまた元気になる、、、その繰り返しに『もう嫌だ!おんなじことの繰り返しだ!』心底そう思うまでは、それでいいのだと思う。

 

でも私はその繰り返しや平穏だったり辛かったりが起こることに疑問があったし、もう本当に嫌だと感じていた。もう補いきれないのだ。

本当にそれしか方法はないのだろうか?

 

『答えは自分の中にしかない。』

 

よく聞く言葉ではあるけれど、言葉通り、癒しは外側にあるものではなく、自分自身の中にしかない。

 

目の前で繰り広げられる世界は、ただあるだけで、どんなに辛いことも、悲惨なことも、大きい小さいもなく、それは常にあるだけで、それを見た人それぞれがそれぞれの心を通して感じたり、感じなかったりするだけなのだと思う。

だから、心がざわつけば、なぜざわつくのかを自分の中に探すだけ。そうして、ざわついた自分の忘れていた感情を見つけて、『それは嫌だったよね、よく頑張っていたよね』そうやって自分が自分をわかってあげると、なぜだかほっとする。そして私が本当にそのことに納得した時、スッーっと痛みが消えていく。

 

そうやって、頑なに拘っていた気持ちを一つ一つをほぐしていくと、目の前の出来事は本当は何も起きていなかった、ということがわかるようになる。

何も問題ではなかったし、そこにただあっただけだということがわかる。問題にしていたのは他でもない、自分自身の心だったということだ。目の前の人でもないし、事柄でもないのだ。

 

それがわかってくると、どんなことが起きても(毎日、毎瞬間、起こることは起こるのだ)ただただ目の前の出来事を、事実だけを見て、引っかかったところを丁寧に見ていく。そして解消する。それだけしかやることはないのだ。解消が進めば進むほど、どんどんクリアになるから、すぐに見つめるところがわかるし、解消が早くなる。それは文字通り消えていくのだから、今度は引っかかるものがなくなってくる。心が平安である時間が増える。周りの物事に動じなくなる。どんな出来事に対してもやることは同じだというシンプルさ。

他に何がいるだろう?

特別な知識もテクニックも必要ない。

自分が自分を癒すこと。誰にでも備わっている、神様が授けた力。

今の所、私はこの生き方を知って、今本当に幸せだし、想像すらしていなかったような幸せな状態が続いている。毎瞬間が奇跡。

出来事が起こるのは神の采配だと思う。出来事が未消化な感情を呼び覚まし、癒しの機会を与えてくれるのだから。

だからこの世に存在する全てには感謝しかない。

 

本当の癒しとは、実はちょっと、いやもしかしたらすごく痛いものだ。

痛かったことを振り返るのは痛いし、人がそれをもう一度見るのを躊躇するのは良くわかる。

でも、本当に癒されるとそれは永遠になくなる。いや、なくなるどころかギフトになって返ってくることさえある。

それは世界がひっくり返る体験だ。

 

自分の心、感情が自分を辛くしているのなら、

起きた感情をなかったことにしないで、まっすぐ見ることができるなら、フラワーエッセンスは心強い味方になってくれる。

誰でも手に取ることができて、自分で選び、癒すことができるなんて、癒しには最高だ。

思いぐせは手強いし、馴染んだやり方に簡単に引き戻ってしまう。

でもエッセンスを傍らに、気づくたびに癒しは進んでいくことは揺るぎない事実。

 

今日も自分自身を癒しながら、

いつも心は平安であれ。

 

JPEGイメージ-4AAD75EFCA29-1.jpeg

 

 

 

タグ

CATEGORY

ARCHIVE

検索ワード

ページトップ